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2012 年 2月 08 日
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ローマ時代・・
   
 

ローマ以前の交易
ケルト人より前にフランダースを支配していたのは、ミヘルスベルグ人たちでした。彼らは大規模な採石と火打石の採掘を生業にしていました。採石場の中に一種の「工場」を建て、武器や道具を流れ作業で製造加工していたと言われます。製品はヨーロッパ大陸の各地ならびにイギリスに輸出していました。紀元前2世紀になると、ケルト系民族のベルガエ族が現在のベルギーあたりに入植を始めます。鉄製武器で西ヨーロッパ一体を制覇しつつあったケルト系戦士部族の後を追って移住してきたのです。戦士たちは先住部族に新しい文明をもたらし、この地方の商業的発展に貢献しました。アイノートの炭田地帯には製鉄所も作られ、当時としては最新式の鉄器を、はるかギリシャまで輸送できる樫材製の船も作りました。

シーザー到来
紀元前57年、ローマ帝国皇帝ジュリアス・シーザーがベルガエ族を征服。新たに獲得した領土をガリア・ベルジカと名付けました。シーザーはローマ式の道路交通網を導入。その痕跡は今日でも残っています。現在のドイツ、ケルンからフランスのブーローニュ港へ抜ける幹線道路は、ベルギーの2大河川であるスヘルデ川とムーズ川を横切り、そのため、このあたりはヨーロッパ最大の交易の中心地に発展しました。

フランク王国による覇権掌握
紀元431年になると、ローマの傭兵だったゲルマン系部族フランク王国が、盟主に反旗を翻し独立。メロヴィング朝を樹立します。その後、カロリング朝が勃興。768年に王座についたその3代目、シャルルマーニュは、ほぼ半世紀に渡って君臨し、スペインとスカンジナビアをのぞくヨーロッパ全域を領地としました。シャルルマーニュ一家は現ベルギー地方の出身であったため、彼の統治下ではこの一帯がフランク王国の中心となりました。

河川流域の興隆
シャルルマーニュの統治によってベルギーの各河川沿いでは組織的な交易が始まりました。サクソン人を征服した彼は、帝国の東の領土をさらにドイツ側に拡大。これによってフランダース産の毛織物や繊維製品とワロン産の金属製品の新しい市場が南北に広がりました。ライン川とアドリア海を使った地中海諸国への新ルートができると、さらに交易は活発になりました。こうした国々からは水車を利用した製粉など新しい技術が導入され、大幅な省力化が実現されたため、余った労働力は他の仕事に回せるようになりました。

帝国の分裂
ヴェルドゥン協定(843年)によって、シャルルマーニュの3人の孫たちは帝国を、西フランク(フランス)、中フランク(ベルギーの大部分)、東フランク(ドイツ)の3王国に分割しました。


更新日 29/11/2005 |  この記事を印刷する |  この記事を送信する トップに戻る
 
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