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宗教的対立
1555年フェリペ2世がスペイン王に即位すると、フランダースに新たな危機が訪れました。熱心なカトリック信者だったフェリペ王は、北ヨーロッパで勢力を伸ばしつつあったプロテスタント主義と激しく対立したのです。特にフランダースの各都市では、新教の興隆が古くからの反貴族支配運動と結びついて政治運動となっていきました。フィリペ2世は新教徒の反乱を平定すべく、悪名高きアルバ公をフランダースに送りこみます。公爵は武力に物を言わせ、何千人もの新教徒を処刑しました。このことが却って新教徒の勢力を勢いづけ、結局、南部のカトリック地域はスペインへの忠誠を守って「スペイン領ネーデルランド」となり、新教徒の多く住む北部は「北部同盟」として分離独立しました。
都市国家の衰退
スペインは北部同盟を承認しただけでなく、スヘルデ河口の閉鎖も承諾しました。その結果、先のブルージュ同様、アントワープとゲントも商業中心としての地位を失いました。しかし、フェリペ2世の娘、インファンタ・イザべラの統治下になると、スペイン領ネーデルランドは特権を回復しました。国民の信仰信は大変厚くなり、修道会の数も激増。イエズス会は大学を30校創設し、学問の中心となりました。
戦争の時代
次にフランダースの主権を掌握したのは、フランスのルイ14世(在位1659~1715年)です。彼の野望の前には、スペインだけでなくイギリスや、国境侵害に脅えるオランダも震え上がりました。戦争は数十年におよび、現在のベルギー領土のほぼ全域に波及しました。絶え間ない戦闘のせいで交易活動は破壊され、国政は外交重視ではなくなります。しかし、この間に農業が近代化し、食糧が自給できるまでになりました。
スペイン継承戦争
世継ぎに恵まれなかったカルロス2世は、死の直前、ルイ14世の孫にあたるアンジューのフィリップを王位継承者に指名しました。ルイ14世は即刻、スペイン領ネーデルランドをフランスに割譲するようフィリップに要請します。フィリップは拒否できませんでしたが、他のヨーロッパ諸国は納得せず、フランス、オランダ、イギリス、オーストリアを巻き込む戦争が勃発します。戦争は10年続き、1713年のユトレヒト条約でようやく終結しました。疲れきったフランスは領土割譲をあきらめ、スペイン領ネーデルランドはオーストリアのハプスブルグ家の手に渡りました。
フランダース復興
オーストリアの女帝マリア・テレジアは国民の信頼が厚く、その長い君臨(在位1740~1780年)の下、フランダースの経済と社会基盤は復興しました。ドイツから沿岸部へ至る陸路を再生させるため、盛んに道路の建設が行われました。アーヘンからオステンドへ抜ける越境街道も開通もされ、18世紀末には幹線道路の総距離が40マイルから620マイルまで伸びました。
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