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イーペルの突起
フランダースには、第1次世界大戦の最悪の激戦地がいくつかあります。破壊と苦難と絶望が5年間、「イーペルの突起」と呼ばれる地域に溢れかえっていました。その結果、想像を絶する悲劇的な数の人々が戦争の犠牲になったのです。
ティン・コット戦没者墓地
イーペルにある「メニンゲート」は第1次世界大戦で戦死し、遺体の見つからなかった連合軍兵士54,896名を追悼するものです。ティン・コット戦没者墓地の記念碑には、さらに34,888名の遺体のない戦死者の名前が刻まれています。同墓地には11,871基の墓標がありますが、うち7割は身元が判明しないものです。

現在では「イーペルの突起」全域が、戦没者追悼の代名詞となっています。この地で戦死した何千、何万という人々をまつる墓地や記念碑は数十ヶ所あり、いずれも大切に手入れされています。毎晩午後8時になると「メニンゲート」専属のラッパ吹きの先導で、追悼の儀式「ラスト・ポスト」が行なわれます。
ジョン・マックレイ少佐作、「フランダースの野辺にて」
「フランダースの野辺にて」は、史上最も感動的かつ有名な戦争詩で、1915年にジョン・マックレイ少佐によって書かれました。少佐は当時カナダ陸軍の衛生部隊将校で、イーペル近くの運河岸に掘られた塹壕の中で毒ガス弾の被害者や負傷兵の手当てにあたっていました。今日「エセックス農場」と呼ばれる場所には戦没者墓地があり、記念碑が建っています。ブルージュ出身の彫刻家ピエテル・エイン・ブーデンスがデザインしたこの記念碑は、フランスで1918年に戦死したマックレイ少佐を偲ぶもので、塹壕跡を見下ろす銘板には「フランダースの野辺にて」の詩文が彫られています。
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