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婚姻がもたらした統一
ブルゴーニュ公フィリップは、政略結婚を巧みに使って低地地帯の統一に成功しました。その後継者はブリュッセルを中心とした中央集権制を敷き、地域の経済統合をはかりました。英仏両国が内戦や紛争にあえぐ一方で、フランダースはブルゴーニュ大公の統治の下平和を維持し、ふたたび繁栄を享受しました。また、この時代には文化、特に芸術が発展しました。
ハプスブルグ家による統治へ
1477年、第4代ブルゴーニュ大公の没後、フランス国王ルイ6世がブルゴーニュを征服しました。しかし、最後の大公の娘が、神聖ローマ皇帝の継承者マクシミリアンと結婚。その結果、低地都市国家はハプスブルグ家の支配下に入りました。1490年代になると、ブルージュの外港へ続く水路が次第に老朽化したため、交易の中心は北へ移りアントワープが最大の商業都市として発展します。
スペインの影響
マクシミリアンの息子フィリップ・ル・ボーが、アラゴンのフェルディナンドとカスティリヤのイザべラ(クリストファー・コロンブスのパトロンとして有名)の娘、ジョアンナ王女と結婚すると、前代未聞の規模と力を持った一大王国が誕生しました。王位継承者たちの予期せぬ死によって、フィリップ・ル・ボーは、カスティリヤとアラゴン、ナポリ公国とシシリア公国、それに両アメリカ大陸のスペイン領からインディ(現フィリピン)に至るまでの広大なスペイン王国を相続しました。また、祖父の血統から、ハプスブルグ家の支配する神聖ローマ帝国(ドイツ、ミラノ公国、フランス伯爵領、低地都市国家、アルトワ、オーストリア、チロル、スティリアを含む)の皇帝にもなりました。
ブリュッセル宣言
その後、1516年には低地都市王国の君主でもあったブルゴーニュ大公カールが、弱冠16歳で、ブリュッセルでスペイン帝国国王カール5世への即位を宣言しました。カール5世は1519年に、神聖ローマ帝国皇帝にも即位。その在位期間中(1516~1556年)、フランダースと新たに「スペイン領低地王国」とよばれるようになった地方は、繁栄を欲しいままにしました。いずれも学問の中心となり、新しい思想や哲学の発信地となりました。
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